ちきんかばぶ「店主のひとりごと」

ーはじめにー

こんにちは♪

当サイトへようこそお越しくださいました(笑)
どうぞ、ゆっくり楽しんでいってくださいね(^^)

ところで、あなたは今どこでこのサイトをごらんになっていますか?

自宅ですか?
会社のオフィスですか?
それともネットカフェですか?

えっ、

「どうしてそんなことを聞くの?」ですって?

はい、このページはたぶん長い長い文章になると思うんです。
だから、今あなたが十分な時間が取れないのでしたら
後ほど改めてごらんになって下さい。

もし十分な時間が取れるのでしたら、このまま読み進めていって下さい。

では始めましょうか。


おっと、その前にイスの座り心地はどうですか?

コーヒーとかジュースとかの飲み物は用意してありますか?

あなたがもしタバコを吸うのなら、灰皿はちゃんとありますか?
タバコも切らさないで済みそうですか?

だいじょうぶですね?

はい・・・では始めましょう。


ーホームページなんてー

実は私、ホームページなんて作る必要なんてないって思っていたんですよ。

いろいろな店のホームページなんか見てもカタログとかパンフレットみたいで
つまんないじゃないですか。

かと言って、他にいいアイディアなんかも別に浮かばないし・・・・。

「ちゃんと美味しい焼き鳥を焼いていれば、それでいいじゃない。」

って、まぁ、そんな感じだったんですね。

ところがある日、(株)Fっていう会社のIくんっていう
営業の人から

「ホームページを作りませんか?」

ってオファーがありまして、話し方とかなかなか好感の持てる青年だったものですから
(まぁ、感じの悪い営業マンもそんなにいないんでしょうけど(苦笑))

会って話を聞くぐらいならいいかな、なんて思って会ってみたんです。

で、会う前までの私は

「どうせ高い料金なんだろうから、いざとなったら
料金を聞いて断ればいいや。」

なんて思っていたんです。(Iくんゴメンネ。)

ところが、料金はもちろんのこと他の面でもなかなか条件が良くて
断る理由が無いんです(苦笑)

内心、私は困ってしまいました。

「断る理由はないけど、ホームページを作る理由も見つからない。」

これがその時の私の正直な気持ちでした。


ーう~ん、困ったなぁ。ー

Iくんの勤める(株)Fという会社と、私の店は近いらしく
Iくんはそれからアポなしでちょくちょく現れるようになりました。

Iくんの会社で既に製作したホームページをプリントアウトして
サンプルとして持ってきてくれたりしたのですが、その中に
同じ焼き鳥屋さんのサンプルもあり、私がそれをながめていると

「あっ、大将(私のことです)、その店も名古屋コーチンの店で
めちゃくちゃ美味しいんですよ。」

「ふ~ん」と答える私に

「大将もぜひ一度行ってみてくださいよ。本当に美味しいんですから。」

と、ちょっと失礼なことを言ったりするんです(苦笑)

でも、まぁ悪気がないのは解っていましたし、純粋にそのお店のことが
好きなんだろうなぁとは思いました。

で、それからもいろいろと話をしているうちに、彼、Iくんは
無類の焼き鳥好きであることが分かったんです。

「それなら、ウチの焼き鳥を食べてみればいいのに・・・・。」

内心そう思いましたが、私の口からそれを言うことはできません。

『う~ん、困ったなぁ。』

そんな風に思っていた私は、ちょっとだけ本心を話してみました。

「Iくん、私はねホームページを作るならカタログやパンフレット
みたいなのは作りたくないのよ。
そういうのは読んでてもつまんないじゃない。。」

「はぁ・・・。じゃ、どういうホームページを作りたいんですか?」

「私にもよく分んないけど、おそらく殆んどのホームページが
訪れた人のほぼ全員に読んでもらって気に入ってもらおうと
思ってるんじゃない?」

「・・・はぁ。」

しばらく宙を見上げて考えていた彼は

「じゃあ大将、一度この店に食べに来てもいいですか?」

と提案してくれました。

ーありがとう、Iくんー

後日、彼は3名様で来店して下さいました。

そして、3名とも12本コースをオーダーしてくださいました。

コースは7本コースも12本コースも最初につくねをお出しするのですが
最初のつくねをひとくち口にした彼の一声は

「うぉ~、なんだこれは!!」

でした(笑)

もちろん、美味しいという意味です。

(ここで、この話が当店の自慢話に聞こえてしまったら
誠に申し訳ありません。

ただ、これはもちろん事実ですし彼のこの驚きがなかったら
この話が続かないので書かせていただきました。)

『あぁ、良かった♪』

内心、私はそう思いました。

当店の焼き鳥は分かる人にしか分かりません。

「分かる人」というのは、鶏肉がなによりも一番好きな人です。

牛肉の好きな人がレアの焼き加減を好むのと同じで
当店の焼き鳥はそのほとんどがレアでお出ししています。

特につくねは、中が完全にレアで「鶏肉が普通に好き」な人には
ちょっと苦手意識すら感じるかも知れません。

(もちろん、そういうお客様には焼きなおしをしますが)

そして12本の串をすべて食べ尽くした彼は、目を輝かせながら

「大将、本当に美味しかったです!」

と言ってくださいました。

『あぁ、本当に良かった♪』


それから約10日後、Iくんは当店のホームページの計画書を
持ってやって来ました。

約10日間のあいだ、彼は当店のホームページの構成を練りに練った
そうです。

「それでですね大将、ここに使う画像はモノクロなんですが
一部分だけカラーにするんですよ。
それでその画像は次々とフラッシュしてですね・・・・。」

とまぁ、こんな感じで彼の当店に対する思い入れは尋常ではなく
その熱い情熱は隣にいる私にもひしひしと伝わってきました。

『うむ、Iくんとの二人三脚なら、きっとすばらしいホームページが
できるに違いない。』

私は確信に近いものを感じました。

ーえっ!?私のこと?ー

さて、前置きがずいぶん長くなってしまいましたが
このホームページの計画書には私の「ちきんかばぶ」に対する想いを
つづるというコーナーがありまして、それがまぁ、このページなんですけどね。
いやぁ、正直申し上げて、照れくさいんですね(苦笑)

でも、書くからには私もやっぱり本心に近いというか
核心に迫ったものにしたいなということで・・・・・。

本当に焼き鳥を焼くことぐらいしか能のない、いつも酔っ払っている
いい加減な男なんですが、それでもまぁ、想いといいますか

「こんなことを感じながら焼き鳥を焼いてますよ」

というものはありますので
それを書いていきたいと思います。

ー悪夢の6年間ー

よく「苦労話は自慢話」なんてことをいいます。

私も、もう過去のことですし、今さらこんなことをお話しするのも気が引けるんですが
これをあなたにお話ししないことには、なぜ今こうゆうことを思っているのかという
説明ができないので、敢えてお話しすることにします。

それに私にとっては苦労でも、これを読んでいるあなたにとっては
「なんだ、そんなことか。そんなの苦労のうちに入らないよ。」 って思うかもしれませんからね(笑)

さて、6年前ですが当時私はまだ結婚をしていて(笑)、
ここ名古屋から40キロほど離れた岡崎市という街で、カミさんと二人で

焼き鳥屋をやっていました。

屋号は今と同じ「炭焼ちきんかばぶ」です。

まぁ、私がいうのもなんですが「炭焼ちきんかばぶ」は一世を風靡した時代もありまして
岡崎では結構名の通った店だったんです。

それに私たち夫婦も仲が良く、お客様の間では「おしどり夫婦」で通っていました。

それが、突然の経営困難に・・・・。

理由は、まぁ言い訳にしか過ぎませんが飲酒運転の罰金が50万円になったことですね。

当時のちきんかばぶは郊外にあったものですから、 交通手段の少ない岡崎では
車での移動手段しかなかったんです。

それからというもの、悪循環の連鎖です(苦笑)

売り上げの低下→支払い困難→せっかく建てた一軒家を処分→絶えない夫婦ゲンカ
→さらなる売り上げの低下→ → → →そしてついに離婚

と、まぁよくある話といえばよくある話ですが・・・。

ところがこれで終わらない。

それどころか、これは始まりだったんです(苦笑)


ー女性不信ー

まあね、今ならカミさんが「別れる」といった理由も、
その言葉が本心だったかどうかも含めて理解できますが
当時はね、その理由がさっぱり理解できなかったわけです。

もちろん兆候のようなものはありましたし、16年間の結婚生活のあいだには
「別れる」とか「出て行く」って言葉も何度も聞いてますけど
当時のはちょっと様子が違ってました。

それで、当時は理由が分んないものですから「女性不信」になっちゃったんですね。

女性不信になるとどんな症状になるかというと、まず女性の顔を見るのも嫌になるし
私の場合、私の体から半径1メートル以内に女性が近づくと吐きそうになるぐらい
気持ちが悪くなりました(苦笑)

ですから、女性のお客様がいらっしゃった時には私も困りましたが
そのお客様に対しても、なんか気の毒でしたね。

(まさか、「当店は女性の方のご来店をお断りします」なんて言えないし(笑))


ー人間不信ー

カミさんと別れて、私一人で店をやるようになってから
なぜが店が忙しくなってきました。

最初、私はその理由がまったく分からなかったんですが
あるお客さんが、店に入って開口一番

「あ、ホントだ。ほんとに一人でやってる。」

の言葉ですべてが理解できました。

岡崎は田舎ですからね、スキャンダルが面白いわけです。

私の場合、「おしどり夫婦」のやっていた店が
カミさんがいなくなって、オヤジ一人でやっているとのウワサが広まって
ミジメなおやじがどんな顔して店をやっているのかひとめ見てやろうと
冷やかし半分で来店するお客が増えたということです。

つまり、私は「客寄せパンダ」と化したわけです(苦笑)

そして、これに追い討ちをかけるように親友だと思っていた二人の友人が
私と出て行ったカミさんの一部始終を他の飲み屋で語り、酒の肴にしていたことがわかり
ついに私は人間不信になってしまいました。

(人間不信なのに店を開くというのはホントにつらいですよ。)

ー鶏肉がもう入らない。-

これも、もうショックでしたねぇ。

セセリという首肉の部分がね、3回の注文で3回とも腐っていたんですよ。

1回目の時は黙ってたんですけど、2回目はさすがに業者に言いました。
そしたらね、そのときは

「よく言ってくれました。次から気をつけます。」

と言ってくれたんですが、3回目の時は不断は滅多に怒る事のない私も
さすがに怒りました。

すると、業者の方は謝るどころか逆切れをしまして

「お宅のような難しいことをいう店には、もう品物は卸さない。」

と、まぁ取引停止になったわけです。

今思えば、この事件のおかげで当時扱っていた「三河どり」という
マイナーブランドから、「名古屋コーチン」という日本3大ブランドに
変えることができたので、まぁ起こるべくして起こった出来事だと
言えますが、当時の私は途方にくれたのを今でも昨日のことのように
はっきりと覚えています。

また、その日は奇しくも12月24日。

ある意味、私は神様から最高のクリスマスプレゼントをもらったわけです(笑)


ー鳥インフルエンザー

さて、年が明けて名古屋コーチンの仕入先を探していると
世間では鳥インフルエンザが流行り重大ニュースとなりました。
う~む、このときばかりはねぇ、本当に「運に見放された」と思いましたねぇ。

だって鶏肉ははいらなくなるし、世間は鳥インフルエンザで騒ぎ出すし
これじゃあ、流れは「焼き鳥屋をやめろ」って言ってるようなものですからね(苦笑)

また、一般的に名古屋コーチンは一羽単位で卸している業者がほとんどで
部位を、たとえばもも2キロ、セセリ3キロ、皮1キロなんて卸している業者なんて
見当たらなくて、本当にどうなっちゃうんだろうってとても不安だったのを
今でも覚えています。

ー愛犬スコットの死ー

ゴールデン・レトリバーでスコットといいました。
11年と8ヶ月連れ添いました。

家族と離れても、なんとか私一人で頑張れたのは
彼、スコットがいたからです。

本当に悲しかった・・・。

ある意味、離婚した時より悲しかったです(涙)


ーもう、焼き鳥屋はやらない。ー

「食」にもやはり文化というものがありまして、そう「食文化」ですね。

大げさな言い方に聞こえるかも知れませんが、日本が物の豊かさと引き換えに
失ったものの1つにこの食文化があると思います。

これは私の持論ですが、お寿司がくるくる回転しちゃってから
日本の食文化はおかしなことになってしまったんじゃないかな。

くるくる回るお寿司の廻りを、多勢の家族連れが取り囲み
寿司の乗った皿を取っては上に何枚も重ねているシーンは
私にはとても人が食事をしている様には見えません。

あと、ネタもね、おすし屋さんなのにハンバーグがシャリの上に乗ってたり
デザートでケーキまで回ってるらしいじゃないですか。

ここまでくると、怒りを通り越してただ呆れるだけですね。

そして、ある時期から私の店にも食文化を知らない若者達が
やってくるようになりました。

どんな若者かというと、たとえば3人で来店されると
3人ともアルコールを飲まないんです。
緑茶かウーロン茶といったソフトドリンクですね。

で、あとは3人で12本コース1つというようなオーダーの仕方を
するんです。

コースは1名様分なのに、それを3人でオーダーして
どんな風に食べるんだと思って見ていると
1本の串から肉の部分を箸で取り外して、その外した肉を3人が
それぞれ箸で摘んで食べるという
なんとみっともない食べ方をしてるんです。

「う~む。」

私は職人ですから、こういうやり方をされると侮辱されたような
気持ちになります。

だいたいねぇ、ちゃんと串に打って出されたものを
どうしてわざわざ串から外して箸で食べるのか、
私にはとても理解できません。

おにぎりは手で食べるから美味しいんであってね、せっかく
にぎってあるおにぎりをわざわざ皿の上でつぶして
それを箸で食べるなんておかしいでしょ?

串だってね、それと同じですよ。

そして、こんなオーダーをしておいて、ドリンクをおかわりすることもなく
串を追加注文することもなく、2時間も3時間も滞在するんです。

で、こういうお客様が全体の1割ぐらいの時はまだまだ我慢できたんですが、
3割を超えたあたりで私は仕事に対するやる気をすっかり無くしてしまいました。

「あぁ、日本の食文化ももう終わりだ。焼き鳥屋はもうやめよう。」

我慢の限度を超えたのか、11月のある日、突然店をたたむことを
決意したのです。

一人で店を始めて、ちょうど3年後のことでした。


ートラックの運転手ー

と、ここまで後半なんて結構 淡々と書いてきましたが
私は一番大切にしていた家庭をなくし、せっかく建てた一軒家を手放し
愛犬を亡くし、ついには職を失ってしまったのです。

お店をたたんでも、貯金なんてたいしてなかったので
安アパートを借りるための礼金とか敷金とかを払ったら
明日にでもどこかへ働きに行かなければなりません。

私はハローワークへ行くと、まだ人間不信が完全には治っていなかったので
なるべく人と接することのないトラックの運転手で、時給の良いのを探しました。

時給1300円。

なかなかいい時給ですが、出勤は夜中の3時です。
でも私は迷わずここに決めました。

理由は午前中には配送が終わることと、べつに一生このバイトを
続けようとは思っていなかったからです。

夜中の3時出勤なので、2時半には起きて出かけるわけですが
最初のうちはいろいろなことが目新しいし、あまり人とも話さなくてもいいので
結構 楽しかった、というか気がまぎれてました。

ー営業所の責任者ー

トラックのバイトを1年近く続けた頃でしょうか。
親戚のおじさんが連絡があり、ある市外で自分の友人が運送会社の営業所の
責任者を探しているけどやってみないかというのです。

給料は決して良くはありませんが、社宅と称して2DKのアパートとあとカローラですが
社用車を1台つけてくれ、アパート代も車のガソリン代、そしてETCのカード代も
すべて会社の負担だと聞いて、そこへ就職することに決めました。

「安定」

この言葉を聞いて、あなたはどう思いますか?
ここ数年間、目の前に起きる様々な出来事に疲れていた私は
この「安定」という言葉はとても魅力的でした。

しかし、もともと「安定」とは程遠い半生を送ってきた私にとって
数ヶ月もすると、この言葉はすぐに「退屈」に変わってしまいました。

「このまま俺の一生は終わっちゃうのかな・・・。」

当時49才だった私は「もうすぐ50才」というあまり認めたくない事実を前に
そんなことをいつも思っていました。

ー解雇、そして再び岡崎へー

そんな私の心配に応えてくれるかのように、入社して9ヵ月後に
会社は私を解雇してくれました。

世間はちょうど「リーマンショック」による大不況で騒いでいた頃です。

ただ私の場合は、不況で解雇された訳ではなく、最初から他の同業者から
優秀な責任者を引き抜くまでの「つなぎ」だったようです。
(まぁ、どうでもいいですけどね。)

さて、解雇された以上は次の身の振り方を考えなければなりません。

通帳にはわずかですが、数十万円の貯金がありました。

アパートを借りてしまうと、もうお金は残りません。
それに、営業所の責任者として就職したときに
自分の車を処分してしまったので、車もありません。

さんざん迷った挙句、一人で年金暮らしをしている母のもとに
お世話になることにしました。

もちろん、月々わずかではありますが生活費を渡していました。
でも、すべてを失って年金暮らしの母にお世話になるのは
私にとってとても気が引ける思いだったのです。

でも、とりあえずは仕方ありません。

母に事情を話し、2Kのアパートの1部屋を自分の部屋にしてもらうと
まず収入を得るために私はハローワークに出向きました。

人、人、人・・・・

ハローワークの中は人だらけでした。

世の中が不況とは知っていましたが、ここまで不況とは・・・。
この人だかりを見て私は愕然としました。

そして番号札をもらい、3時間以上も待たされ、
係りの人と面談をするのですが50才の私の勤め先はありません。

厳しい現実を突きつけられた思いです。


ー岡崎に来てからの半年間ー

それから何回かハローワークに行きましたが
相変わらず勤め先は見つかりませんでした。

いろいろ考えた私は、苦肉の策で親戚や知り合いから不用品を引き取り
それをインターネットのオークションに出品して収入を得ることを始めました。

オークションに関する本を2冊ほど読み、いざ出品をしましたが
これがなかなか希望する金額になりません(苦笑)

知り合いから引き取った多くの不用品はオーディオ製品や
ゴルフのクラブなどかさ張る物でしたが、
希望の落札価格まで遥かに届かない上に梱包が大変で
梱包代だけで落札価格以上にかかり赤字になってしまうこともありました(苦笑)

あと「せどり」といって、ブックオフなどの古本屋さんの100円コーナーで
古本を仕入れて、アマゾンで販売するなんてこともやってみましたが
これもねぇ、500円以上の相場の本はなかなか無くて
出品者が多いとすぐに価格が下がってしまい
大した利益にはなりませんでした。

そんなことを半年ほどしているうちに
もともとわずかだった貯金は、だんだんと底をついてきました。

「いったい俺はなにをやってるんだろう?」

真夏の暑い日に、電気代節約のためにエアコンも入れれない部屋の畳に寝転がり
そう思っていました。


ー何のために生きてるんだろう?ー

このように私は大切な家庭を失い、一軒家を失い、
職を失い、愛犬を失い、そして試みることは次々と失敗し、務めた会社をクビになり
挙句の果てに年金暮らしの母にお世話になり、収入もままならないまま
まさにどん底まで落ちてしまったわけです。

そして、今思えばこの6年間は軽い「鬱」の状態が続いていたのだとも
思います。


「人はなんのために生きて、そして死んでいくのだろう。」

私はいい年をして、こんな文学青年のようなことをいつも考えていました。


         億万長者になろうが
        ホームレスに落ちぶれようが
         広大な宇宙のレベルからすれば
        大差なんてないんじゃないか、と。

         平均年齢まで生きようが
         生まれてすぐに亡くなろうが
         長い長い宇宙の歴史から見れば
         どちらも瞬きする瞬間よりも
         短いんじゃないか、と。

「人」の「夢」と書いて「儚(はかな)い」と読みますが
人は何をやろうが儚いだけにしか過ぎない一生を、なぜ、
何にしがみついて必死に生きているんだろう、なんて思っていたわけです。


ーゾルバ・ザ・ブッダー

そんなことを考えながら、今思えば まるで廃人のように生きていたんですが
昨年(2009年)7月のある日、阿部敏郎さんという人のブログを読んでいたら
私の疑問に対する答えが書いてあったんですね。

「ゾルバ・ザ・ブッダ」というタイトルで、要約すると

       「夏の風物詩といえば、花火がその1つにあります。
       夜空に輝く花火はなぜあんなに美しいんでしょうか。

       それは一瞬のうちに輝き、そして消えてゆくからなんです。
       人の一生もそれと同じで、宇宙の歴史から見れば
        ほんの一瞬で終わってしまうのですが、

       その一瞬に輝けるからこそ美しいのです。
        つまり、「儚い」からこそ人生は美しいのです。」

このブログを初めて読み終えたとき、私は私の中にある
「生命」を実感しました。

私の肉体には、確かに心臓が鼓動を打ち、熱い血液が体中を
脈を打って流れていることを実感したのです。

「そうか・・・。儚いからこそ美しいんや。」

そして、この記事を何回も読み返しているうちに
不覚にも涙が頬をつたいました。

感動して泣いたのなんて何年ぶりかな。

この瞬間、私ははっきりと肉体も精神も再生(re-birth)されたのを
確信したのです。


ー野良犬の成功法則ー

さて、見事(?)リバースした私は

「もし、俺の命があと半年しかないとしたら、そして収入とか
世の中の流れとか考えずに、本当にやりたいことがあるとしたら
それはいったいなんだろう?」

と、自問自答を繰り返しました。

そして、出した答えが「もう一度、『炭焼ちきんかばぶ』をやろう」
だったのです。

「よし、もう一度 ちきんかばぶをやろう。
どうせなら、名古屋コーチンの専門店にするんだから
岡崎なんかでくすぶってないで名古屋でやろう。」

しかし、私には肝心の資金がまったくありません。

「う~む。」

当時の私に融資をしてくれる金融機関など どこにもありません。

でも、とりあえず物件を当たってみようと、インターネットで
検索をしたら、栄という繁華街のど真ん中なのに
とても安い物件が2件ほどありました。

1件はビルの地下1階、そしてもう1件は違うビルの3階でした。

私はこの地下1階の物件がとても気に入りました。

「あぁ、ここだな。」

直感でそう感じたのですが、問題は資金です。

ふと頭をよぎったのが、個人に借りることでしたが
それだけは絶対に嫌でした。

私は昔からプライドがとても高い男で、人にお金を借りるぐらいなら
死んだ方がましだと思っていたぐらいです。

人に弱みを見せるなんて、絶対にあり得ないことでした。

ところが、本屋さんで偶然立ち読みをした「野良犬の成功法則」
((株)生活倉庫社長 堀之内九一郎著)という本の一説を読んで
またもや私の心は動かされたのです。

以下、その全文をご紹介します。


「失敗なくして成功している人はいません。
借金なしにビジネスはできません。

どんなに立派に見えても、成功した人は何度か「恥ずかしい」ことを
乗り越えてきています。

だから、いま失敗している人でも、成功したあかつきには
それは恥ではなく、勲章になるのです。

それを先取りして口にしたとしても、強さにはなっても弱みにはならない
と私はいつも思っています。
だから私は、弱みをさらけ出せるのが本当の意味の強さだと
思っています。

そして、相手に向かってまず自分が裸になれる人間こそ
魅力的だと思います。」

まさに私に足りないのはこのことだったのです。

『本当に困ったときに、誰かに助けてもらうのは
決して悪いことではないんだ。

今まで、もう失うものは何もないって思ってたけど
俺にはまだプライドがあった。

よし、このプライドも捨ててやろう。』

開き直った人間ほど強いものはありません。

私は親戚やかつてのお店のお客さんで連絡が取れる人たちを
約20名ほどリストアップして金策に走りました。


ー神話の法則ー

金策に走った私の経過は、あなたの想像するとおりです(苦笑)

ほとんどの人が門前払いで、なかには
「この不景気になにが商売だ!」と叱ってくださった人もいます(苦笑)

しかし、私の心はまったく傷つきませんでした。

門前払いをされたり、叱られたりしているのに
なにか人事のように感じていたのです。

ちょっと話はそれますが、何年か前に読んだ本で
「神話の法則」というのがあります。

これは、ハリウッド映画のシナリオライターを目指す人のために書かれた
シナリオの書き方の本なのですが、1年に何千本と上映されているハリウッド映画も
そのストーリーのパターンは大きく分けるとたったの3種類しかないらしいんですね。
そして、そのパターンはすべて「ギリシャ神話」から引用されていて
そのギリシャ神話は人の人生のパターンををデフォルメしたものということです。

私はこの本のことを、金策に走り回っている途中に思い出し

「いよいよドラマが始まったんだな。」

と人事のように何故かワクワクし始めました。

ちょうどレンタルビデオ屋さんから新しいDVDを借りてきて
それを見始めるかのようにです。


ここに一人の中年のオッちゃんがいます。

このオッちゃんは今まで築いてきたすべてを無くし
何をやろうとしてもうまくいかず
夢も希望も失い廃人のように生きていました。

ところがある日、ふとしたことがキッカケで
もう一度 自分の人生をやり直そうと思い立ちました。

さて、そのためにはまず資金が必要です。

オッちゃんは知り合いの人たちにお金を借りようと
金策に走り回り始めました。

このドラマ、ここですぐにお金を借りることができてしまったら
ドラマとして つまんないですよね。

面白いのは、ほとんどの人に断られ罵倒を浴びせられ
あきらめかけたときにやっと ある一人の人が助けてくれる

そして第2チャプターへと続く。・・・と。

私は自分の目の前に起きる出来事を、まるでドラマを見ているかのように
客観的に見れるようになっていたので、門前払いをした人たちを憎むことは
ありませんでした。

それどころか、このドラマの謂わば悪役を演じてくれた人だと
感謝すらできるほどです。

これは私にとって大きな心の、というか考え方の変化です。
私の このドラマでは悪役を演じてくれたけれども
ある人のドラマでは この人はヒーローかも知れないし
ある人のドラマでは この世で一番大切な人かも知れない。

ということです。


さて、話は逸れましたが私が金策に走り回った結果

親戚のおじさんの一人は
「お金は無いけど、店舗契約の保証人にならなってもいい。」
と言ってくださり
お店のお客さんだったある社長さんは、詳しい理由も聞かずに
「100万円なら貸してやる。」
と言って快く貸してくださいました。

私が計画した事業資金は160万円です。

60万円の不足のまま名古屋へ進出することになるのですが、
前述したとおり、自分の目の前に起きることを客観的に
見れるようになっていた私は、これもドラマとして面白いと
ワクワクしていました(笑)

そしていよいよドラマは第2チャプターへと続きます(笑)


ー身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれー

私の大好きな言葉の1つです。

まさしく裸一貫で、十分な資金も無く
オープン予定の約1週間前に名古屋へ来ました。

まず最初に起こった障害は、資金不足のために
借りるアパートがないということです(苦笑)

仕方が無いので、店に住むことにしました。

店はわずか7,9坪の小さな物件なので
住むというにはほど遠い表現ですが(苦笑)

普段はカウンターで食事を取ったりして
寝るときは始めは床にダンボールを敷いて寝てましたが
私の友達で自衛隊に務めるマッちゃんがそのことを知ると
自分が演習のときに使う折りたたみ式のベッドを
送ってくれました。(マッちゃん本当にありがとう)

店舗の契約では店を住居として使用してはいけないことに
なっているので、いつばれるかと毎日ひやひやしながら
暮らしていました。

(こんな暮らしが、年が明けて3月になるまでの約半年間も
続きました。)

次の障害はオープンの3日前なのに焼台を買うお金が無かったことです(苦笑)

焼き鳥屋なのに焼台を買うお金がないというのもおかしな話ですが
もともと資金が足らない上に思ってもいなかった出費がかさんで
どうしようもありませんでした。

そこで、考えたすえにU字溝で代用したのですが
そうすると保健所の営業許可が通らないので
焼台が買えるお金が貯まるまでの約1ヶ月のあいだは
「もぐり」で営業してたんです。

ダンボールに書かれたメニューには「プレオープンメニュー」って書いて
「本格的な営業ではありませんよ」というふうにカモフラージュなんかして(苦笑)

でも、店が地下にあって目立たないことと、宣伝もまったくしてなかったので
(というか、宣伝する資金がありませんでした(苦笑))、新規のお客さんは
一人も来ませんでしたし、1週間来客人数が0という週もありました・・・・。

そして店がオープンして半年が経ちましたが
おかげさまで、ここ名古屋では知る人ぞ知る名古屋コーチンの専門店として
だんだんと「炭焼ちきんかばぶ」の名前が浸透し始めた兆しが見え始めてきました。

そろそろこのドラマは第3チャプターへと続こうとしています。

さて、どんなドラマになるのか?

よろしかったら あなたも一緒にこのドラマの舞台へお越しくださいませ(笑)

ーそして、一番大切なことー

「ゾルバ・ザ・ブッダ」のところで、「人生は儚いからこそ美しい」
と説明しました。

私は「炭焼ちきんかばぶ」を日本一というか、「日本唯一」の
焼き鳥店にすることを生涯の目標に置いています。

しかし、大切なことは日本唯一の焼鳥店になったところで
そんなことは儚いことだと知っていて、それを目指しているということです。


人生は幻です。

どうせ幻ならば、思いっきり生きてやろう。

そんなことを、齢51才にして思いながら
いつも焼き鳥を焼いています。

どうも長い文章を読んでくださいましてありがとうございました。

最後に、あなたがもっともっと幸せでありますように。



ではでは(笑)


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